勝ちに対しての価値 ~2020年甲子園高校野球交流試合を観て感じたこと~
おはようございます。
早起きのライター、カンノオサムです。
今回は、世の中の情勢により中止になった各種スポーツ大会の中でも、高校野球に絞り、そこから感じたことを書いていきます。
球児にとっての「甲子園」とは。
わたしは小学生から高校生まで野球部に所属し、毎日、野球をして過ごしていました。高校入学時には、クラスメイトの前で自己紹介をしたときに「甲子園に行きたいです」と言ったのを覚えています。
その頃のわたしのような野球を愛する球児たちのほとんどは「甲子園に行きたい」という思いを誰しもが持っているのではないでしょうか。
今年の高校野球は、春のセンバツは出場校が決まっていたものの中止、さらに夏の甲子園も中止になりました。
世の中の情勢を考えたら、これは仕方のないことでしたが、これまで甲子園を目指して取り組んできた球児たちにとっては、目標を失ってしまうくらいの衝撃だったと思います。
そのくらい球児たちにとって「甲子園」は誰もが夢見る特別な場所です。
代替となった2020年夏の甲子園。
そんな中、2020年の夏にも甲子園での試合が行われることになりました。
春のセンバツへの出場が決まっていたすべての高校を招待してのそれぞれ1試合だけ行う交流試合という形です。
このニュースを聞いたときにまず思ったのは、それでも高校球児たちには複雑な思いのほうが強いだろうな、ということです。
とはいえ、甲子園はやはり夢の舞台です。
一人でも多くの球児が1試合でも多くの試合を甲子園でできる機会ができたことはとても良いことで、この情勢下で精一杯の対応だったと思います。
勝ちに対しての価値。
そうして先日、異例の夏の甲子園が開催されました。
勝っても負けても1試合の交流試合をして終わりです。次はありません。どんなに良い試合をしても、優勝も準優勝もありません。開催期間中、選手たちのモチベーションはどうかなと思いながらテレビ中継を観ていました。
観ていて、わたしは高校生の真剣さ、必死さを感じました。
この情勢下、わたしたち社会人にできることはそれぞれの仕事や役割の中で、役に立てることはあります。高校生は高校生で、それを分かっているかのようでした。
1試合しかないからこそ「1勝の重み」を感じて試合をしているのではないかと思いました。
「勝ちに対しての価値」をどこにもっていくかは、選手や監督、または観ているわたしたちのそれぞれだと思いますが、勝っても負けてもすばらしいとはいえ、少なくとも勝つために戦略を持って全力で臨むことが大事です。
その価値をわたしなりに表すと「どんな状況下でも自分が出来ることを精いっぱい努力して過ごすこと」です。
この価値を見つけた高校球児は、今後、社会人としても活躍できることでしょう。
そして、この気づきを与えてくれた全力プレーの高校球児たちに感謝したいと思います。
-
前の記事
ロックバンド「銀杏BOYZ」に学ぶ、田舎モノ営業学。 2020.08.20
-
次の記事
モノが溢れる時代に売れるための「持っていたい感」と「信頼感」と「仕組み」。 2020.08.28